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タイトル: | 張東宇「朝鮮における『朱子家礼』研究」 |
別タイトル: | CHANG Dong-woo, “Studies of Family Rituals of Master Zhu in Choson Period” |
著者: | 邊, 英浩 鄭, 宰相 |
著者別名: | BYEON, Yeong-ho JUNG, Jae-sang |
出版者: | 都留文科大学 |
言語: | ja |
NCID: | AN00149431 |
掲載誌名: | 都留文科大学研究紀要 |
刊行日付: | 2013-10-20 |
号: | 78 |
ISSN: | 0286-3774 |
開始ページ: | 45 |
終了ページ: | 68 |
抄録: | これまでの朝鮮思想史の叙述において、17世紀は「礼学の時代」と性格づけられてき
ヒョン・サンユン
た。この説を最初に言い出したのは、おそらく玄相允の『朝鮮儒学史』(1949)であろう。
玄相允の『朝鮮儒学史』は、植民地時代以降のものとしては、最初の朝鮮儒学通史である
が、そこでは朝鮮儒学の流れを「至治主義儒学→性理学→礼学→経済学(実学)」と述べ
ている。この捉え方は、後の研究に大きな影響を与え、朝鮮時代の儒学は「16世紀=理学、
17世紀=礼学、18世紀=実学」のように展開したもの、という「理解・知識」として定着
テゲユルゴク
する。つまり、16世紀における退渓学派と栗谷学派の性理学に対する見解の差が、17世紀
において礼学に対する見解の差を生み出し、栗谷学派に属する西人は『朱子家礼』を中心
とする礼論を、退渓学派に属する南人は古礼中心の礼論を展開した、という見方が朝鮮思
想史ないし礼学史の叙述においてほぼ通説となっているのである。
例えば、韓国精神文化研究院で刊行された『韓国民族文化大百科事典』(全28冊)の「礼
訟」の項目をみると、「栗谷学派である西人=家礼中心=守朱子学派」対「退渓学派であ
る南人=古礼中心=脱朱子学派」という図式で説明がなされている。『韓国民族文化大百
科事典』は研究者をはじめ一般人もよく利用する事典であるため、この図式的な理解は一
般的な認識として根強く広まっている。17世紀の思想史・礼学史に対するこのような理解
は、18世紀の朝鮮思想史の理解にもつながり、18世紀を「実学の時代」と規定し、「南人」
系列の学者に焦点を当てながら、実学を「脱朱子学的」学問として位置づける言説と密接
に結び付いている。
このような状況の中で、17世紀の朝鮮思想史・礼学史に対する従来の研究に問題を提起
し、新しい見方を提示する研究者たちが近年現れている。本稿の著者である張東宇氏(韓
国、延世大学校国学研究院研究教授)もその一人である。氏は、朝鮮時代の代表的な思想
タサンチョン・ヤギョン
家の一人である茶山、丁若 の礼学の研究で博士論文(『茶山礼学の研究―『儀礼』「喪
服」篇と『喪礼四箋』「喪期別」の比較を中心に』延世大学校、1997年)を著して以来、
長年朝鮮礼学の研究に取り組んできた韓国の学者であるが、特に近年は朝鮮時代の『朱子家礼』関連著述の研究を精力的に行っている。
本稿で氏は、朝鮮時代の『朱子家礼』関連著述に対する書誌学的な調査・分析を通じ
て、朝鮮における礼学の展開は、『朱子家礼』の研究が始まった16世紀後半から18世紀に
いたるまで、「古礼による『朱子家礼』の補完」という共通の問題意識をもとに、学派の
相違を超えて「蓄積的に進展された単一な流れ」であると結論づける。また「礼学の時代」
といえるのは、17世紀であるというより、むしろ18世紀であるという見解を示す。これま
での朝鮮礼学の研究は、主に17世紀の服制論争(礼訟)史料を中心に行われてきたわけで
あるが、著者は朝鮮礼学史における家礼関連資料の持つ重要性を提示し、朝鮮礼学史の叙
述は礼訟にとどまらず、もっと広い見地から捉えるべきであることを示唆しているのであ
る。朝鮮礼学史への新しい視点を提供し、従来の朝鮮思想史の理解に反省をうながしてい
る点で、著者の問題提起と結論は非常に大きな意味を持つものと思われる。また本稿で整
理された膨大な量の『朱子家礼』関連著述リストは、朝鮮礼学史の研究のみならず、今後、
中国・日本・ベトナムなど、東アジア各地における家礼文化の比較研究の基礎資料として
活用できるものと期待される。翻訳は鄭宰相(京都大学講師)が草案を作成し、邊英浩(都
留文科大学教授)が点検し責任を負うこととした。なお本稿は筆者が、科学研究費補助金
(基盤研究(A))研究「東アジアにおける朝鮮儒教の位相に関する研究」(研究代表者:
井上厚史島根県立大教授)の一環として弘前大学で行なわれた国際ワークショップ(2012
年8月29~30日)において報告したものを加筆、修正したものである。 It has been said that the two opposite stances exist in Choson scholars’ studies on Family
Rituals of Master Zhu (Zhuzi Jiali 朱子家禮). Unlike the previous understanding of the
irreconcilable difference between Yulgok 栗谷school and T'oegye 退溪school, this article
unveils their common consent that they endeavored to complete Zhuzi’s Family Rituals in
accord with the ancient ritual principles. On the ground of such agreement, Ritual Studies of
the two schools had interacted with each other, mainly in respect of three aspects : practice
of rituals (haengnye 行禮), interpretations or exegeses on those practices, and provisional/
^ extraordinary rituals without clear manuals in the canonical scriptures (byollye 變禮).
^ Through exploring extant 198 works of Choson Ritual Studies in the 15th to 19th centuries,
this article shows the patterns of their evolution and interrelationship. |
記述: | 翻訳 Translation |
資料タイプ: | Departmental Bulletin Paper |
著者版フラグ: | publisher |
URI: | http://trail.tsuru.ac.jp/dspace/handle/trair/645 |
出現コレクション: | 第78集
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